<二つの川の交わるところ> 全編

細い月の浮かぶ夜に
僕たちは歩き始めた
[なにか]を目指してではなく
[なに]を求めているかを
確かめるために

雨沢 滴



はじまり


白い部屋
白いベッドの
白いシーツのうえ

窓から月の光が差して
白の諧調の中に
二つの星が光り
小さな声をもらした

いつもよりゆっくり
ビートルズが
BGMを奏でている

8歩先のところに
やっぱり白い
舟があって
帆先がゆれて
水浴びを待っている

花の香りをたずさえて
きみは 行ってきたら




散りかけた桜の花を見上げたり
散った花びらを見下ろしたりしているうちに
笑顔があふれ出す
柔らかい風が吹いて
木々のにおいを運んでくると
笑顔は消え
今度は精悍な表情が現れた

サンルーフから見上げた空が
思ったより深い青であることに驚いて
車を止め
コーヒーを飲みに
喫茶店の庭へ入っていった

二つのコーヒーカップ
陶器と銀のスプーンの輝き

そのとき
彼女の瞳はカメラのモニターを見つめ
僕はレンズの向こうに
小鳥のように震える小さな胸を見ていた



A POND


最初に見に行った池は
カルガモがいる
溜池(ためいけ)

カモになるのは嫌だけど
カルガモなら軽快でいいかもしれない

君に飛び込むときには
カモになう覚悟だ

溜息よりも
軽く弾もう


キラキラ


万華鏡のように
反射した光が模様に見えた

台風みたいに
いろんなシーンを駆け抜けていくのはどう?

息を切らしても平気なはず
髪や衣服や
いろいろ乱れても
大丈夫

夜になって
窓辺の椅子かなんかに座って
じっとしていれば
みんな夢のように
現実から離れていく

夢が包む魔法の時間
音楽に合わせて
トリップしない?



自慢


リサが話し始めた
友達が夢をかなえた話
先生と仲良く遊べる話
大好きな作家と文通した話
渋いアーティストを追っかけている話
自分が失敗して辛かった話
やりたいことがたくさんあるという話
動物と仲良くなれる話
進む道が変えられるという話
素敵な人の話
僕の知らない話



アルマジロ


星のきれいなホテルで
きみが青い手帳に小さく描いた
きみと僕とアルマジロの絵

それがアルアジロかどうかは
きみがそうだと
説明しなかったら
わからなかったけど

僕はそのアルマジロが
本当にいるようで
夜中にベッドを抜け出して
外の廊下に行ってみた

澄んでいて冷たい空気

何かの気配がして
寝ぼけた目を見開くと
煙のむこう
上目づかに僕を見る きみがいた





キスの返事が始まりだった

腕に力をこめると
ゆっくりと揺れがはじまって
二人の間の空気は夏のように暑くなっていく

「どう? きもちよくない」
「あったかい」

ほっぺたと唇の感触が
肩の骨と手のひらの柔らかさが
引力と上下の関係が
混ざっていく

「どうしようかな」
「なにを?」

舟をこぐ 櫂(かい)の
きしむような 規則的な音
夏の朝の霧のような湿った香り

窓の外で
森を照らしている月の光


問い


すこし
うつむきがちにほほえむのは
恥ずかしいから?

いつの間にか訪れていた朝
初めての夜が明けて
未来のことを
たくさん話したい気分で
おたがい
小説を読むように
語り続けた

向き合いながら
そのとき
どんな風景が見えていたの?

さわやかで明るい朝は
何を与えてくれるの?
指折り数える

そのとき限りのものと
そうでないものと



パワースポット


ここはパワースポットだわ
って
ホテルで
リサがいった

方位も
川の流れも
気の流れも
みんなここにあつまってる、と

リサは
光沢のある 紫の
ランジェリー姿のまま
大きなベッドに入る

追いかけて
シーツの下にもぐると
いつもの花の香りがした

その花に触れると
僕はその記憶を
自分に彫りこんだ



手をつないで


夜は音を立てて
空を回しているのか
広い河原を上流に向かって早足で歩いた
この川の上流には
小さなせせらがあって
都会の灯りに照らされるここよりも
もっと暗い闇の中で
チロチロと音をたてている

初夏の午後に
それを写真に収めると
音だけが
メモリーカードを掠(かす)めて
あたりに散っていった

それは二人を守る
バリアのように思えた

記念日の写真


きょうは
5月の最初の日を
一緒にすごした記念日

そうく口々に言って
上流に向かった

雨に洗われた森
幾重にも緑の葉が重なり
輝いている

初夏の香りを体いっぱい感じようと
深呼吸をしながら歩く

左右に澄んだ小さな川がある
それを写真に収めようとしているきみは
夢中でシャッターを押す

こうやったら
きれいに撮れるよ、と
話しかける

それしか話すことができなくて



願い


ベッドに沈むリサに
湿った冷たいタオルを当てる
タオルがリサの熱を奪うと
その熱をシンクに棄てに行く
リサに冷たいタオルを当てる

その繰り返しのなかで
夢を見た

リサと僕の不安定な生活
悲しくて楽しくて愛おしい日常
めまぐるしくてエロティックな旅

熱をシンクに棄てに行く
タオルを絞ると
ぬるい水が流れていく

この水の
行く先 いずこ



羽音


きみの鳥が飛び去っても
何も悲しむことはない、と
言ってあげたい
川に浮かぶ飛び石の上に
置き去りにされたきみは
いつか 夕日に照らされて
橙色に輝く

空から地上を見れば
川に浮かぶ石の上にいるきみは
さっきまで飛び跳ねていたように見える
それは
きみから飛び去った 鳥ときみとが
羽ばたく羽音のはるか下のほうで
たしかに呼応していたから


SEE  YOU


アイスコーヒーがのどを通過する
痛みを残して
いつの日か飲み込んだコトバの小骨?

手の中で
涼しい鏡の音が響き
ダンスはもうおしまい

氷が唇に当たる
透明なグラスの水滴を
指で壊したことの報いが



星座の手紙


旅から戻ると
短い手紙が届いた

手紙は星の下で書かれたのか
幽かに光っている

文字は きれいに並んで
何かを断ち切ろうとしているようだった

リサは細い月の夜に現れ
またふたたび その月の夜が来る

手紙を顔に近づけると
いつもの花の香りが蘇る

星座は新しい季節のステージを
飾ろうとしている

生ぬるい風は やがて夏をつれてくる
ぼくは何を持っていたらいいのだろう

いつか見た もくれんの花が
記憶の中で手を振る

その前にたたずんでいるのは
こっちを向いて楽しげに笑いかけてくる
出会ったばかりの
リサ



青空の天秤


美しい木のベンチの上で
話をしていた

二つの宇宙が並んで
つながり
小さな爆発を起こして
また 遠のいた

午後の風が
やさしく 髪に
指を絡めてくる

花びらを一枚
掌にのせ
二人はそれを
見つめて
花びらの中に入っていこうとした

降り注ぐ雨の滴のような
やさしさを振り切るように
目線を上げると

青い空の高みに
巨大な天秤が浮かんでいた

リサが
僕ではないほうに
ゆっくりと
傾く



二つの川の交わるところ


「どちらの川を選んだらいいの?」

「選ぶ必要はないよ」

川の飛び石を
ぴょんぴょん跳ねながら
僕たちは
片方の岸に渡っていった

ふたりは
まだ交わらない
二つの川のように
思い思いの
涙を流した

「いいところだね」

「きれいな水を見ると元気になれる」

いっしょに
ぴょんぴょんした

向き合って
話をして
背中合わせで
笑った

とんびが旋回する
雲が雨を降らせようと近づいてくる

手をつないでみた
それが
さいごであるかのように




一つの季節が終わった時
次の季節がやってきていた
愛しい人との出会いは
新しい季節の訪れにも似て
新鮮な、けれども懐かしい感情を湧き立たせ
身も心も包み込み、満たしていった

二つの川の交わるところに
また行くことがあるだろうか
いつか行くことができるだろうか
季節が巡るより早く過ぎたリサと僕の季節は
また巡ってくることがあるだろうか