〈童女 M -16の詩-〉全編

序詩

知っていますか
あなたが駆けだせば
そこにひとつの
風が生まれるということを

知っていますか
あなたが微笑めば
そこから美しい
光の輪が広がるということを

心の中には無限の泉があって
常にほとばしり
いくらでも そとに
あふれでているということを



夏の訪れ

葉が風に揺れ
滴(しずく)が落ちる

すると滴は
虫たちにしか聴こえない
かすかな音とともに
地面に達する

そして
地面に着いた滴たちは
陽光を浴びて
やがて
夏の匂いを放ち始める



雨の思い出

雨の中をびしょ濡れになって駆けて行ったのは
誰だったろう
生まれる前みたいな広いところに
ただ雨だけが降っていて
そこにぼくが居たなんて

九十九里へ行って
飛鳥へ行って……
ああ かならず出会った雨は
まだ
ぼくともうひとりの中に
しみ込んでいるだろうか

雨を見上げ雲を見上げ
落ちてきた雫は
ふたりの想い出だったのか

心に深く染み込んでいるのか



東から

夜はまだ明けず

東からかすかな風が吹く頃
虫たちの合奏はクライマックスを迎える

境界線が風を従えて闇を追って来るんだ

やがて
朝の生き物たちが声をあげ始めると
虫たちの合奏は
潮がひくように消えて行くんだ



ひみつ

ふたりの愛を誓い合う
そんな儀式は
些細なことでいい
そして
できれば ひみつが
ふたりを覆(おお)ってくれるといい

ぼくらはふたりきり
夕陽の部屋で
一本のたばこを吸ってみてはどうだろう
きみのうつくしい横顔から
けむりがゆっくりと離れてゆくのが
見えるようだ

たばこなんか
真面目(まじめ)なきみはいやがるだろうか

それでも
けむりは
やがて僕等を包んでくれるに
違いない

あたりの空気は
ひみつのにおいを
漂わせるに違いない

ふたりの愛を誓い合う儀式には
そんな些細なひみつが欲しい
そんな ふたりだけの
ひみつが欲しい



秋の事件

夕日を眺めながら
都会の少年たちは
ありもしない
故郷のことを思う

時計が鳴っても
母が呼んでも

里は もうすっかり
秋色に染まったという
まっすぐと登ったけむりは
やがて夕焼け雲と まじわってしまうという

さて 都会はといえば
電車の扇風機にカバーがかかり
夏の果てなかった夢や思い出が
ころがっているだけ



海にきた日

こうしてあなたを見ていると
ぼくは何だか不安になります

あなたは余りにも明るすぎて
よく笑うものだから

まるで風になったみたいに
浜辺を駆けて行くものだから
そのまま
風になって
どこかに行ってしまいそうで
海の青さに
溶け込んでしまいそうで

不安になるのです

海に来た日

その夜は
あなたと ふたりきりで居たい



そして冬

君は柿の実を一つ
ぼくに落とした

ありがとう 君ってやさしいんだね
ぼくのことばに君は頬を染めた

ぼくは君がかわいくてしかたなかった
でも
言わなければならなかった
さようならだ 来年まで
まっすぐと登っていたけむりが
わずかに揺れるのが見えた

君が好きだよ と
心の中でつぶやいた

冬も もう
すぐそこまで

ぼくを 風が
吹きぬけて行った



童女M

ひとつ ふたつ みっつ よっつ
きみは
別れたグラスの破片を
机の上に並べる

いつつ むっつ ななつ やっつ

ぼくは
きみのしなやかな桃色の指と
海のように深くすんだ目とを
かわるがわる見ている

ひとつ ふたつ みっつ よっつ
指をさして数えるきみの
あどけないしぐさを見て

いつつ むっつ ななつ やっつ

ぼくの胸の中で
グラスの割れる音がする



十一月

かちかちと柱時計の音もまた冷たく
しんしんと更けた夜
銀色の月光も凍りつかんばかりに
ひややかに
また犬なども闇にのまれたのか
我救えとばかりに叫ぶような

天上の光の穴よりもれる光は
あくまでもちかちかと
世は静まりかえり
時を失ったかのように

銀の光りの中に
銀の光のの中に



日々

少年は背の高さ程にがんばる

転んでも
走っても

夢はどこまでも遠く
なお 遠ざかる

走っても
叫んでも

少年は時々
雲を見上げて横たわる
けれど 気があせっている
すぐに
また立ち上がって行く

走り出すと足どりは重いが
過ぎ行く景色は素朴でいつも変わらない
それでも
なお 遠ざかって行く
夢が見える



知ってること

雲は流れる 風は行く
大地はざわめく 人はうなだれる

時にははげしく 時にはやさしく
時にはうれしく 時にはかなしく

流れるのは時 行くのは歳月
ざわめくのは群集 うなだれるのは魂

雲は流れ 風は行く
人は生まれ そして去る

雲は流れ 風は行く
星は光り 人は見る



反対のこと

知ってることの不確かさと
知らないことの確かさ

戻ってこない山びこの悲しさと
叫べない 人の醜さ

燃え尽きない炭火のじれったさと
燃え上がる炎のうっとおしさ

思いつめる僕の苦しみと
気がつかないあの人の明るさ


月夜の中で

この月夜の中で
いったい何が起こっているのだろう
春の月はそれだけで もう夢のよう
月が雲にかくれる時
ましてやネコの気味悪くなき叫ぶ中
何が起こっているのだろう
この月夜の中で




泣きたいのだ 泣きたいのだ
涙を出しきってしまいたいのだ
自分の流した涙におぼれてしまっても
それでもまだ泣くのだ泣きたいのだ
流すのだ涙をいくらでも
人の夢の中まで
濡らしてしまった
それでも
足りない
いくらでも泣きたいのだ
悲しみが闇の彼方に流れ去っても
それでも きっと泣くのだ
都会のかわきに
交わることが
できるようになるまでいつまでも



春雷

どこまでも遠く響いている
すこしでも大地と共になろうとして ひくく
すべての雨と風とを伴いどこまで行くのか
青い大地を更に青くぬろうとして
かわいた人の喜びを少しでも潤そうとして
できるだけひろく雄々と
どこまでも行くのか
頭(こうべ)をたれて思う人の心を
天と地の中間に怒らせながら
この夜の果てまでも 行くのか
限りないやさしさと
勇気を持って……



組詩 この空の下で

  

しずかに
しずかにして下さい
風もやんで下さい
太陽は赤く空にとけて下さい
あなたは
部屋にいていいのです
窓辺に立って
窓を半分だけ開けて下さい
しじまは遠くで
みていてください
きいていてください
車の音も
電車の音も
できるだけ遠くで鳴って下さい
あなたはしじまに向かって
話して下さい
つぶやくように
ささやくように
ひとことでいいのです
とびきりやさしいことばを

 Ⅱ

トランペット吹きの少年は
公園にいて
トランペットを吹いて下さい
手から離れていった風せんは
決して割れないで下さい
いつでも
やさしさは
悲しみを芳らせて
いますね
あなたの瞳の深さは
湖の色に似て下さい
海の深さは悲しすぎます

 Ⅲ

夜は花がうたって下さい
ぼくがねむってしまったら
花たちよ
うたって下さい
雨の日には雫たちも
一緒にうたって下さい
絶えずうたって下さい
ぼくよ
花よ
やさしいうたを
だれか絶えず
注ぎ続けられたなら
あなたはそれに気づかないでも
いつも うたっていましょう
とびきりやさしいうたを
いつも きっと こころこめて
あなたに



あとがきに代えて 
あの夕焼け空の下で

あの夕焼け空の下で
こっちを向いている人がいる

夕暮れの風にふれて
こっちへとんでくる
思いがある

あなた ありがとう

そっと耳もとで
ささやいた

あなたは
なにか考え事をしているけど
ぼくは
あなたの方を向いて
いつも ささやいている

あなた ありがとう

   昭和五十五年六月

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